社会人野球日本選手権 2回戦 ヤマハ10―4JR東海 ( 2025年11月8日 京セラD )
度重なる故障を乗り越え、ようやく辿り着いた晴舞台だった。水野匡貴にとっては23年都市対抗以来2年ぶりとなる2大大会。10―4の9回に出番を告げられた。
「京セラドームで投げるのは初めてでしたが、点差も開いていたので余裕はありました。マウンドからの景色もしっかり確認して、プレイがかかってからは自分のボールを投げることに集中しました」
気負いはない。磨いてきた技術と持ち味を存分に発揮した。まずは先頭打者をカットボールで空振り三振。続く打者は落差の大きいカーブで2者連続となる空振り三振に仕留めた。最後は二飛に封じて3者凡退。完全復活を証明した12球を「(2大大会で)投げられてうれしかったですし、楽しかったです」と笑顔で振り返った。
目を見張ったのは、精度の高いカットボールだ。最速150の直球と比べても、球速は3~4キロしか変わらない。水野も「自信を持って投げることができています」と信頼を置く。静岡高、明大の下級生時までは曲がり幅の大きいスライダーを武器としていたが、転機は明大の3年時。スライダーが不調に陥ったことで、投手コーチからカットボールを教わった。打者目線では直球の軌道とほぼ同じながら、ミートする直前に鋭く曲がる。今大会はこのカットボールを軸に、2試合を2回1安打無失点、5奪三振にまとめた。
「(この2年間は)チームに迷惑をかけてしまっていた。悔しい思いもありましたが、一番はチームに対して申し訳なかったです」
23年の都市対抗終了後の9月に、左大腿骨に発生した骨腫を除去する手術を受けた。順調にリハビリを重ね、翌24年には戦列復帰を果たしたが、都市対抗予選の東海2次予選期間中に右肩痛を発症。5月29日の西濃運輸戦が同年の公式戦最後の登板となった。
「予選の一番大事な時期にケガをして、本戦でも投げられずに終わってしまって…。今年にかける思いは強かったです」
入社8年目の今季は、投球のリリース時にかける圧力を高めてきた。重さが数種類あるプライオボールを用いたスローイングドリルを継続。都市対抗終了後からはパワーを強化するべく、メディシンボールによるトレーニングにも時間を割くようになった。2年ぶりの2大大会登板となった京セラドームでは、自己最速を1キロ更新する150キロをマーク。地道な取り組みが正しかったことを自らの手で示した。
水野の奮闘もあり、チームは16年以来8大会ぶり2度目の優勝に輝いた。日本生命を1点差で振り切った試合後。仲間たちととともに、目には光るものがあった。
「周りもそうですし、スタンドで涙している方もおられて。思わず、ウルッときましたね。今年はキャプテンの大本を中心に日本一を取ることを強く意識して臨んだシーズンで、2イニングとはいえ、そこに加わることもできました。本当に良かったです」
引用:スポニチ取材班








